神様の名をつけたまち「誉田」の歴史

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—–誉田のおこり—–
このあたりは古くから千葉氏の領地で、千葉郡山家郷といわれていたのではないかと言われています。天正年間になって徳川氏の領地になりました。
慶長・元和年間(約400年前)には幕府の支配領として代官を置いて治めました。
その後、藩の領地になったり、旗本の知行地になり、領主は変り、また村によって支配もちがっていました。明治の廃藩置県によって、葛飾県・曽我県・印旛県・木更津県となったのですが、明治六年に現在の千葉県になりました。その頃は、野田村・遍田村・高田村・平川村・平山村・東山科村の六村に分れていました。明治14年10月野田村他5か村が連合しました。戸町を石田権右門が努めました。
明治17年8月には戸町役場を野田村に置きました。明治22年町村制公布と共に合併して「誉田村」と改称しました。初代の村長に野田の三枝八十郎氏がなりました。
誉田の村名は野田村をはじめ各村にある八幡宮の祭神、誉田別命の名からとって、村名にしたと言うことです。
当時の戸数は363戸、人口は2260人(男子・1154名、女子・1106名)でした。

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誉田1丁目の歴史、辺田、平山、東山科、高田、平川、誉田2丁目、誉田3丁目、大膳野、村役場、駐在所、郵便局、鉄道、など詳しくまとめられています。

ちょっと知ってみたいという方には、ぜひご覧ください。

目次
1.誉田のおこり
2.「土の歌」の生まれた頃
3.野田合戦と古戦場
4.七里法華
5.怒閑塚と五日堂
6.納戸題目講
7.つらい助郷役
8.野田村からはじまった上総内証題目講

神様の名をつけたまち「誉田」の歴史

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